iwamotの非技術日記(映画、音楽等)(アーカイブ)

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『ゼロの焦点』『Disney's クリスマス・キャロル』を観た

新宿ピカデリーで、映画『ゼロの焦点』と『Disney's クリスマス・キャロル 3D版』を観た。前者は古風な社会派推理もの。後者はさらに古風な道徳訓話。どちらかといえば後者のほうが面白かった。敗戦後から昭和三十年代にかけての女性の心理に感情移入するのは、昭和四十年代生まれの男たる私には難しい。『クリスマス・キャロル』の示す「欲ばり者はろくな死に方をしない」という道徳観は、時代や地域を越える普遍的なものなのだろう。初めて観る3Dは迫力があり、それだけでも楽しめた。

それより何より、今回感じたのは映画音楽の重要性だ。『ゼロの焦点』のテーマ曲が流れたとき、私は「なんと素晴らしいオーケストレーションだろうか」と思った。緊張感があり、美しさと不快さがせめぎ合っている。曲を聴きつつテロップを気にしていたら、「音楽 上野耕路」と出た。さもありなん。

上野耕路のもっとも有名な仕事は、キューピーのCMソング「たらこ・たらこ・たらこ」の作曲だろう。あれも緊張感のあるメロディだ。いわゆるサブカル方面では、戸川純と組んでいたユニット「ゲルニカ」でも人気があった。筋肉少女帯の「元祖高木ブー伝説」で後半聞こえるオーケストラも上野の編曲による。

そんなわけで、もともと上野の音楽性が好きだった私は、『ゼロの焦点』のテーマ曲に聴きほれていた。だが、物語が進むに従い、変奏されるテーマ曲が耳につくようになってきた。音楽が物語に勝ってしまっているのだ。音楽そのものは素晴らしいのだが、映画音楽としては失敗作としか思えない。結局、音楽への違和感と、ほんらい悪役向きの(と私には思える)広末涼子を主演にしたことへの疑問が重なり、最後まで映画に集中できなかった。

対して『クリスマス・キャロル』では、音楽が映画の一部として機能していたように思う。音楽だけを抜き出せば凡庸なものになるのだろうが、控えめな脇役として、主役たる物語を引き立てていた。映画音楽としては、こちらが正解のはずだ。よい仕事をしたのは上野耕路ではなく『クリスマス・キャロル』の音楽監修者だと私は思う。