iwamotの非技術日記(映画、音楽等)(アーカイブ)

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『重力ピエロ』(舞台挨拶付き)を観た

新宿バルト9で映画『重力ピエロ』を観た。11時50分の回で、上映前に舞台挨拶があった。主演の加瀬亮岡田将生小日向文世鈴木京香吉高由里子岡田義徳、脚本の相沢友子、監督の森淳一が登壇。観客は若い女性が多く、おそらく大半は岡田将生のファンなのだろう。インフルエンザ予防のマスクを取り、前のめりになって自分の顔を登壇者に見てもらおうとする客もいたらしい。妻に教えてもらった。いったい何を期待しているのか。

できあがった映画を観て、兄弟愛や家族愛に感じ入ったと話す登壇者が多かったが、私の感想はまったく違うものだ。ここからネタバレします。

私は伊坂幸太郎原作の映画を過去に3本観ている。『アヒルと鴨のコインロッカー』は傑作、『死神の精度』『陽気なギャングが地球を回す』は駄作というのが私の評価だ。4本目の『重力ピエロ』は一言でいえば問題作だった。

『重力ピエロ』では、あたかも「犯罪性向は遺伝する」という仮説が正しいかのように描かれている。その仮説が正しいのかどうか私は知らないが、少なくとも「政治的に正しい」内容ではないはずだ。あえて政治的に正しくない表現をする作家、たとえば筒井康隆の小説を私は好むのだが、この映画には「あえて」が感じられなかった。犯罪性向の遺伝は当然の前提とされているのだ。問題視する人がいてもよいのではないか。

また、この映画を観ると、レイプで妊娠した子を産むのが適切かどうか考えざるをえない。重い話だ。兄弟愛や家族愛、すばらしいですね、で済む話ではないのだ。出産すれば母や子への差別が待っており、堕胎すれば授かった命を殺すことになる。どちらにせよつらい選択だ。

では、この映画が傑作かといえば、そうとは思えなかった。この映画は復讐譚であり、その点では傑作『アヒルと鴨のコインロッカー』と同じである。ただし復讐譚に観客が感情移入するには:

  • 復讐せざるをえないほどのひどい仕打ちを受ける
  • 最終的には裁かれる

の2点が必要なのではないか。忠臣蔵だ。『アヒルと鴨』はどちらも満たしていた。

レイプ犯たる遺伝上の父はレイプ被害者たる母を精神的に追いつめた、だから殺してしまおう、とは少なくとも私の場合はならない。しかも殺したあとに、まるでそれが善行だったかのように家族で慰めあって自首もしないでのうのうと暮らそうというのは虫がよすぎる。

ミステリ映画という観点でみても、どんでん返しに『アヒルと鴨』ほどの鮮やかさがなく、物足りなかった。原作のせいなのか映画のせいなのかは、読んでいないので知らない。

私に小説を書く技術があれば、レイプ犯と被害者の間に生まれた子供を極端な善人に仕立て、最終的には幸福を手に入れさせるだろう。出自と人間性の無関係さを描きたい。あるいは究極の悪人とみなし、悪逆の限りを尽くさせる。あえて政治的に正しくない表現をし、犯罪者の子は犯罪者という偏見を笑いに転化するのだ。